「光る君へ」藤原行成(渡辺大知)とは?家系図と清少納言との仲良しエピソードを紹介!

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「光る君へ」に登場する渡辺大知さん演じる藤原行成に人物像や家系図についてまとめてみました。

また、藤原行成は清少納言との恋仲説がささやかれるなど、とても仲が良かったとされています。

藤原行成と清少納言との仲良しエピソードもあわせてお伝えしていきます。

目次

「光る君へ」藤原行成(渡辺大知)の家系図を紹介!道長との関係は?

「光る君へ」に登場する渡辺大知さん演じる藤原行成の家系図を簡単にまとめてみました。

光る君へ 家系図 藤原行成 藤原道長 藤原斉信 藤原公任 藤原兼家 藤原道隆 藤原道兼 藤原実資

藤原氏は、大化の改新で有名な中臣鎌足の子孫であり、もともと高い地位にいた貴族。

中臣鎌足の大化の改新での功績により、天智天皇より「藤原」の姓を賜ったことで鎌足の子である不比等の代より藤原姓を名乗るようになりました。

奈良時代、不比等の子の4人がそれぞれ「南家」「北家」「京家」「式家」の4つの家を作り、平安時代には「北家」が最も栄えるようになりました。

もともとは、行成の祖父である伊尹(これただ/これまさ)が北家嫡流だったのですが、若くして亡くなったため伊尹の弟であり、道長の父・兼家が北家の嫡子となりました。

「光る君へ」藤原行成とはどんな人?人物像をご紹介!

「光る君へ」に登場する藤原行成の人物像についてまとめてみました。

©NHK

「光る君へ」の公式ページに書かれてある人物像は以下の通りです。

道長よりも6歳下。道長政権下で蔵人頭に抜擢(ばってき)されると、細やかな気遣いで実務に能力を発揮、欠かせない存在として支え続ける。文字の美しさでは右に出る者がおらず、もてはやされた。

出自

藤原行成は、藤原氏の中で最も栄えた藤原北家の藤原義孝の長男として、天禄3972(972)年に誕生しましたが、生まれて間もなく祖父であり64代円融天皇の摂政だった藤原伊尹の養子となりました。

©NHK

ですが、天禄3(972)年の末に祖父・伊尹が病死。

そして、その2年後には父・義孝も急死してしまい、藤原行成の家は没落していくことに。

(変わって、道長の父・兼家が藤原北家の嫡子となり、力を増幅させていきました。)

これに手を差し伸べたのは、行成の母方の祖父・源保光でした。

源保光は、漢学や中国史に造詣が深く、また蔵人頭を務めるなど学問や知識を充分に兼ね備えた人物。

行成は祖父・源保光より多くの学問や知識を授けられて育ちました。

不遇の時代を経て蔵人頭に

藤原行成は、天元5(982)年に元服し、従五位下の官位を与えられました。

その後は、行成の家柄や資質、また外祖父・源保光の庇護も働いていたのかそれなりの官職を与えられてはいたものの、強い後ろ盾がないことで行成の出世のスピードは遅く、不遇の時代を過ごしていました。

ですが、長徳元(995)年に蔵人頭権左中弁・源俊賢が参議に昇進した際、66代一条天皇に対し、後任として行成を蔵人頭に推薦したことで、行成は蔵人頭に任ぜられ、大出世を果たしました。

©NHK

この抜擢については、源俊賢により推挙されたことが大きいものの、これまでの行成の真面目な努力が一条天皇をはじめ人々に認められたことも背景にあったと思われます。

©NHK

四納言のひとり

その後、行成は順調に出世を重ね、最高権力者となった藤原道長より、大臣に次ぐ高官位である権大納言高官位を与えられます。

©NHK

そして、源俊賢、藤原公任、藤原斉信と共に、一条天皇の治世を支えた「四納言」と呼ばれました。

光る君へ 四納言 藤原行成 源俊賢 藤原公任 藤原斉信
©NHK

三蹟のひとり

また、藤原行成は書の達人であり、能書家として、小野道風・藤原佐理(すけまさ)とともに三蹟の1人として数えられ、行成の書は後世「権蹟」(権大納言の筆跡)と称されました。

藤原行成は、和様書道・世尊寺流の祖です。

「光る君へ」藤原行成の清少納言との仲良しエピソードを紹介!

藤原行成は、「恋仲では?」と言われるほど清少納言ととても仲が良かったそうです。

実際は「恋仲」ではなく、姉と弟のような関係だったのでは?という説の方が有力なようなのですが、2人の仲良しエピソードをご紹介していきます。

仲良しのきっかけ

行成が最初に仕えたのは一条天皇です。

©NHK

清少納言は、一条天皇に入内した藤原定子(道長の兄・道隆の娘)に仕えていました。

©NHK

行成は一条天皇の蔵人頭だったことから、度々定子の元を訪れるようになり、清少納言とも顔を合わせるようになりました。

©NHK

清少納言は行成を評価

行成が蔵人頭となった頃、定子のサロンの女房たちの行成に対する評判はよくなかったとのこと。

「枕草子」には、行成について以下のように記されています。

若き人々は、ただ言ひに見苦しき事どもなど、つくろはず言ふに、「この君こそうたて見えにくけれ。こと人のやうに歌うたひ興じなどもせず、けすさまじ」などそしる

「枕草子」(校注・訳:松尾聰・永井和子「新編日本古典文学全集」)

現代語に訳すと・・・

若い女房たちは、見苦しいところなど正直に言ってしまうものなので、「この人は、本当に付き合いにくい。他の人のように歌を歌って遊んだりなどもしないので、面白みがなくてしらける人だ」などと非難していた。

若い女房たちからは、「面白みがなくてつまらない人」という評価だった行成ですが、清少納言自身は行成のことをそのように思ってはいなかったようです。

いみじう見え聞えて、をかしき筋など立てたる事はなう、ただありなるやうなるを、皆人さのみ知りたるに、なほ奥深き心ざまを見知りたれば、「おしなべたらず」など、御前にも啓し、また、さ知ろしめしたるを、

「枕草子」(校注・訳:松尾聰・永井和子「新編日本古典文学全集」)

現代語に訳すと・・・

(行成は)格好をつけたり風流な人だという噂もないため、ただの平凡な人だとみんなは思っているのだろうけれど、私は(行成の)心の奥深さ(才覚)を見知っているので、「(行成は)凡庸な人物ではありません」と中宮(定子)さまにも申し上げていますし、中宮さまもそれを知っていらっしゃいます。

若い女房たちからは評判が良くなくても、清少納言は行成の才覚を見抜いていたのです。

©NHK

清少納言を追いかけまわす

行成は、自身の才覚を見抜き評価してくれていた6歳年上の清少納言をとても頼りにしていたようで、定子に取次いでもらう際には他の女房には頼まず、いつも清少納言を通して取り次いでもらっていたそうです。

清少納言が部屋にいなければ宮中を探し回り、また、長期休暇で実家に帰っていたなら実家まで押し掛けるなどいていたとのこと。

このことが原因で、行成と清少納言は一度絶交状態になるのですが、すぐに仲直りします。

仲直りのきっかけとなったのは、下記のエピソードです。

清少納言の顔を見て会話する仲

当時、貴族の女性が男性と会う時には、御簾越しに顔を合わせるか、扇で顔を隠すのが一般的であり、よほど仲のいい間柄の男性でないと顔を合わせて会話することはありませんでした。

それゆえ、清少納言も藤原行成に素顔を見せることはなく、御簾越しに会話をしていたのですが、ある時、清少納言は行成に素顔を見られてしまいます。

©NHK

ある朝早くのことでした。

清少納言は、偶然一条天皇と定子が仲良く庭を散歩している姿を見かけ、それを眺めていたところ、そばに誰か人の気配がしました。

御簾の隙間から清少納言のことを覗いていたのは、行成。

清少納言は顔を隠す間もなく、行成に素顔を見られてしまったのでした。

その時、行成はこのように言ったとのこと。

「『女は寝起き顔なむ、いとかたき』と言へば、ある人の局に行きて、かいば見して、またも見やするとて来たりつるなり。まだ上のおはしましつるをりからあるをば、知らざりける」

「枕草子」(校注・訳:松尾聰・永井和子「新編日本古典文学全集」)

現代語に訳すと・・・

「『女性の寝起きの顔を見るのはとても難しい』ということなので、ある人の局に行ってのぞき見をして、またもしかするとあなたのお顔も見れるかもしれないと思ってやってきたのです。まだ帝がいらっしゃった時からいたのですが、あなたは気が付きませんでしたね。」

この行成の言葉を清少納言は面白がり、このことをきっかけに、清少納言と行成は仲直りするとともに、御簾越しではなく直接顔を合わせて話す仲になったとのことです。

「枕草子」によく登場することから、「恋仲では?」とも言われる清少納言と行成ですが、恋仲と言うよりは姉と弟のような冗談を言い合える気の合う関係だったように思えます。

まとめ

「光る君へ」に登場する渡辺大知さん演じる藤原行成の人物像や家系図、また仲良しだったとされる清少納言とのエピソードについてまとめてみました。

藤原行成は、藤原北家嫡流の家に生まれますが、祖父・伊尹と父・義孝を相次いでなくしてしまったため、家は没落。

外祖父である源保光の擁護を受け育ちますが、強い後ろ盾がなかったため、長い不遇の時代を過ごします。

源俊賢より蔵人頭の後任に推挙されたことで大出世を果たし、以後は順調に出世。

権力者となった道長からも信頼され、大臣に次ぐ高官位である権大納言高官位を与えられました。

源俊賢、藤原公任、藤原斉信と共に、一条天皇の治世を支えた「四納言」と呼ばれるとともに、書の達人であり、能書家として、小野道風・藤原佐理(すけまさ)とともに三蹟の1人として数えられています。

「枕草子」にもよく登場しており、そのエピソードからは清少納言との仲の良さがうかがえます。

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